姫ママ☆a diary
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
端午の節句

5月5日は端午の節句です
昨日、スーパーで買い物してた時、
『しょうぶ』を発見して
σ(*・∀・)も気がついたの。ところで
端午の節句ってどういう由来?と思ったので
早速、検索してみました

【端午の節句の由来】
端午の節句の起原は、古代中国に遡ります。古来より中国では、物忌みの月(5月)には厄払いの行事が盛んに行われていました。端午の「端」は文字通 り「はじ/最初」の意味で、「午」は「うま」つまり端午とは、五月の最初の午の日に行われると言う意味です。最初は必ずしも五月五日ではなかったようで、午と五のゴロが同じことからこの行事は、やがて5が重なる重五の日、つまり5月5日に大切な厄払いの日として定着します。日本でも奈良・平安時代には五つの節句(人日・上巳・端午・七夕・重陽)が取り入れられ、当時五節句は貴族の間では、それぞれ季節の節目の身のけがれを祓う大切な行事として、よもぎ・菖蒲などの薬草を摘みに野に出て、その薬草を臣下に配ったり、悪鬼を退治する為に午から弓矢を射たりしたそうです。(流鏑馬の原型ですね)その中の一つ「端午(たんご)の節句」が後に「子供の日」となります。

【こいのぼりの由来】
鯉のぼりは、中国の登竜門の故事に由来しています。「鯉の滝登り」ってやつですね。黄河の上流の急な流れを鯉が上るということから、鯉は出世魚として考えられ、子供の立身出世の象徴として江戸時代から、盛んに立てられるようになったそうです。また子供が産まれた家では、「この家の子供をお守り下さい」と天の神様に向かって目印にに立てたという話もあります。

【五月人形の始まり】
もともと端午の節句は、悪鬼や災厄を祓うのが目的で、武家屋敷の塀や門に柵を作り、幟(のぼり)や兜・槍・なぎなた等を並べてる外飾りでしたが、やがて鎧兜を着せた武者人形を飾るようになったそうです。でも庶民は本物の武具などは持っていませんから、最初は厚紙などで兜や剛毅な武者の人形を造り飾っていました。これが五月人形の始まりです。

【初節句の食】
柏餅(柏餅に使われる葉の柏の木は、新芽が出ない限り古い葉が落ちないそうで、このことから家が絶えない、後継者が絶えることがない縁起のいい木として考えられ、柏餅はすでに室町末期頃から、広く食べられていたそうです。)
ちまき(笹の葉で巻いた笹ちまきなどがあります。笹には整腸作用があり、やはり薬効あらたかな薬草で包んだ葉をはがすと、餅米が緑に染まりとても綺麗で、健康にいい食べ物として考えられていました。)

菖蒲酒(「勝負」「尚武/武事による徳を尊ぶ」と通じると考えられて、丁度端午の節句の時に咲くことから「世の中で負けないように、たくましく育て」という祈りをこめて)

魚なら「出世魚」(成長に従い名前が変わる)と言われるブリ・スズキ・ボラなどを材料として使います。またカツオは「勝男」に繋がることから、カツオ料理が出されるとことも多いようです。野菜なら、「タケノコ」。筍は成長が早く、ぐんぐんまっすぐ伸びていくので「元気にまっすぐ育て」と言う意味で使用されます。


どうでしたか?
参考になりましたか?
ハ……(|||゚Д゚)……ッ!!!菖蒲湯じゃなくて菖蒲酒?!
はぃ、古来中国では 菖蒲湯ではなく蘭の湯だったのです
そして、お酒として菖蒲は活用されてたようです。

スポンサーサイト
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。